創始者エンリコ・チェケッティ

エンリコ・チェケッティ
(1850年〜1928年)
体系的指導法「チェケッティ・メソッド」を確立したレジェンド。「舞踊芸術の基礎・理論・実践」を出版したカルロ・ブラシスの孫弟子。バレエはイタリアで発祥し、フランス、ロシアへと広められたが、イタリア人のエンリコ・チェケッティは高い技術と共に最先端でバレエ発展の一翼を担った。「チェケッティ・メソッド」は後の「ワガノワ・メソッド」や「RADメソッド」の源流となった。

◆バレエ団の創始者となった教え子
デイム・ニネット・ド・ヴァロワ:「英国ロイヤル・バレエ」創始者
デイム・アリシア・マルコヴァ:「イングリッシュ・ナショナル・バレエ」共同創始者
デイム・マリー・ランベール:「ランベール・ダンス・カンパニー」創始者

◆バレエ・メソッドの創始者となった教え子
アグリッピナ・ワガノワ:「ワガノワ・メソッド」創始者
タマーラ・カルサヴィナ:「RADメソッド」共同創始者
ニコライ・レガット:「レガット・メソッド」創始者

◆その他の主な教え子
アンナ・パヴロワ:「バレエ・リュス」「マリインスキー・バレエ」第一舞踊手
ヴァーツラフ・ニジンスキー:同上
セルジュ・リファール:「パリ・オペラ座バレエ」芸術監督・第一舞踊手
ミハイル・フォーキン:振付家(レ・シルフィード、瀕死の白鳥ペトルーシュカ)
レオニード・マシーン:「バレエ・リュス」振付家、映画「赤い靴」振付
エンリコ・チェケッティとアンナ・パブロワ
エンリコ・チェケッティとバレエ・リュスのダンサーたち
マエストロ・エンリコ・チェケッティと帝室バレエ学校(ワガノワ・バレエ・アカデミー)の生徒
エンリコ・チェケッティによるレッスンの様子
【経歴の詳細】
バレエ教育をジョヴァンニ・レプリ(カルロ・ブラシスの弟子、ミラノ・スカラ座バレエ学校教師)、フィリポ・タリオーニ(マリー・タリオーニの父)らから受ける。
スカラ座バレエ団第一舞踊手を経て、ロシア帝室バレエ団(現マリインスキー・バレエ団)第一舞踊手となる。バレエ発祥の地イタリアの高い技術を持ち込み、当時のロシア・バレエ界にセンセーションを起こす。チェケッティが振付・初演した眠れる森の美女「青い鳥」は、今日も挑戦しがいのある演目として高く評価されている。指導者としてもロシア帝室バレエ学校(現ワガノワ・バレエ・アカデミー)に教師として招かれ、ロシアのバレエ教育に大きな影響を与える。後にワガノワ・メソッドの創始者となるアグリッピナ・ワガノワも学生として学んだ。
その後、ポーランド帝室バレエ学校教師を経て、セルゲイ・ディアギレフ率いる伝説のバレエ団「バレエ・リュス」のバレエ指導者となる。パリを中心に活動した「バレエ・リュス」にはパブロ・ピカソ(美術)、クロード・ドビュッシー(作曲)、ジャン・コクトー(台本)、ココ・シャネル(衣裳)などの才能が集った。後に英国のバレエ団を創立していくメンバーも集っていた。ダンサーから「ツアー中もチェケッティのお稽古を毎日受けたい」という強い要望があり、チェケッティもバレエ・マスター及びキャラクター・アーティストとしてツアーに同行するようになる。団員のアンナ・パヴロワは私費で個人レッスンもお願いしていたという。
その後、ロンドンのシャフツベリー・アベニューにバレエ学校を設立。弟子マーガレット・クラスクがフレデリック・アシュトン、マーゴ・フォンテイン、シリル・ボーモント、アントニー・チューダーらの指導にあたった。
晩年は故郷イタリアに帰り、ミラノ・スカラ座バレエ学校校長として後進の指導を続けた。

写真1:マエストロ・エンリコ・チェケッティとバレエ・リュスのダンサーたち
写真2:マエストロ・エンリコ・チェケッティとアンナ・パヴロワ
写真3:マエストロ・エンリコ・チェケッティと帝室バレエ学校(ワガノワ・バレエ・アカデミー)の生徒。チェケッティの前に座っているのはワガノワ・メソッド創始者のアグリッピナ・ワガノワ。
写真4:マエストロ・エンリコ・チェケッティによるレッスンの様子